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公演に寄せられたメッセージ

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11月18日の芸能山城組公演「逢燦杰極譚(アキラじぇごぐだん)Ⅲ-幻唱」の開催にあたり、メッセージが寄せられています。吉川左紀子様、大石 始様からのメッセージを掲載いたします。

山城作品の魅力と芸能山城組の不思議な力
吉川左紀子(京都芸術大学学長)

芸術家の感性と科学者の知性。この二つの能力が大橋力(山城祥二)というひとりの人間の中で掛け合わされ、融合し、他に類のない音楽作品が創造される。そして、バリ島の伝統楽器と先端の電子音楽を組み合わせた<逢燦杰極譚>という唯一無二の作品を、設備の整ったスタジオではなく、劇場のライブ空間で鑑賞する。これは、今の時代に生きる私たちに与えられた、本当にぜいたくな体験だと思う。
山城作品とそれを演奏する山城組には、人間と自然をつなぎ、伝統と先端をつなぎ、個と世界をつなぐ不思議な力が備わっている・・。劇場だけではなく、盛夏の都心のビル群の中に、緑に囲まれ木々の香りに包まれたバリ島の庭園を彷彿とさせる祝祭空間が出現するのも、チーム山城組のもつ魔力かもしれない。
“トランス状態”は、ふつう、個人の脳内で生じる現象として理解される。しかし芸能山城組の<逢燦杰極譚>が生み出す集合的トランスは、降りかかる苦難を乗り越え、群れとして生きていた太古の人たちの叡智にもつながる心の躍動である。それは、古代とはまったく異なる苦難に満ちた時代を生きる私たちにとっても、未来に向かうエネルギーとなるに違いない。

現代における祭りと「トランス」の意義
大石 始(文筆家)

祭りや民俗行事のリズムとは、基本的に同じフレーズを繰り返すことでリズムの渦を作り出し、その場にいる人々のあいだに精神的な一体感を生み出す。また、私たちはその渦に巻き込まれることにより、自分たちの肉体から(たとえ一時限りのものだとしても)解き放たれる。ある種のトランス体験である。
こう書くと何か儀式めいたものを感じるかもしれないけれど、私たちは案外日常的にトランスを体験している。たとえば阿波おどりのグルーヴを浴び続けるうちに現実感を失い、軽い意識の変容を覚えたという経験のある方は少なくないだろう。より日常的なものでいえば、合唱やカラオケの場において力のかぎり声をあげることで「自分が自分ではなくなる」感覚を覚えたという方もいるはずだ。そうしたトランス体験をすると、身体と心が少しだけ軽くなり、生きる活力が湧いてくる。だから私たちは祭りや娯楽を必要としてきたのかもしれない。
現代社会においてトランスの意義とはどこにあるのか。本公演はその意義を問うものといえるだろう。自分たちを縛りつけている身体という名の鳥籠からほんの少し解放されたとき、私たちの心の内にはいったい何が湧き上がってくるのだろうか。
芸能山城組は社会と個人が芸能によってゆるやかに結びついた未来像を、舞台や祭り、音源などさまざまな表現方法を通して提示してきた。本公演では芸能山城組がこれまでの活動で培ってきたものをさらに押し進めながら、世界情勢のようなマクロの世界から個人と個人の関係性のようなミクロな世界まで、あらゆる場で分断が進む時代の「つながり」を考える機会ともなるはずだ。

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